i-Application(iTunes)の素晴らしさ

あくまでMacintosh信者フィルターがかかっていることをお忘れ無く。
それを前提に読んでください。


初めてiTunesを触ったときにすごく感動した。
なぜなら今まで七面倒くさかったMP3作成/再生 というジャンルを大きく変えたから。


音楽CDをドライブに入れる→「取り込み」クリック。
これだけでMP3が作成できる。
音楽をパーソナル・コンピュータで管理できる。


もう一つの革新。スマートに再生できるってこと。
いちいち自分でフォルダ分類をしなくてもiTunesが勝手に~/Music/iTunes Music/アーティスト/アルバム と分類してくれる。
アプリケーションの側でもいちいちファイルを意識することなく再生することができる。
今までのMP3再生ソフトウエアが「プレイリスト」の作成を前提にしていたことからすると大きな前進です。


さらに。
他のi-ApplicationからスマートにiTunesの音楽を再生できる。
そこにはファイルの概念もディレクトリの概念もありません。
例えばiPhotoでスライドショーのBGMを選ぶ。iMovieでムービーのBGMとして使うことが出来る。
結構驚きました。


案外とBTRONの思想(ファイルの概念もディレクトリの概念もない)に似ていると思いませんか。
Macintoshは「Drag&Drop」という大変スマートな(そしてBTRONでも最も重要な)、データの扱い方を持っています。
(そこがあくまでDOSなどのCUIの延長線上にあるだけのWindowsや、Linux上のデスクトップ環境との大きな差、使い勝手の差だと思います)
だから一度Macintoshに填るともう二度とMacintosh天国(地獄ともいう)から離れられないんでしょうね。


ただ、BTRONのようなハイパーテキスト環境ではない、というのが大きなマイナスなのですが。
(昔OpenDocをやろうとしたけれども頓挫した…。つーか、OpenDocってめちゃくちゃ理想やん!!)
OpenDocについて興味を持ったのでまた調べてみよーかなと。

追記

OpenDocについて調べるにつれ、すごくOpenDoc環境を試してみたくなりました。
…お金かかるなぁ。
Old Mac(G3以前のPowerPC搭載Mac)に手を出すのかぁー。
誰かOpenDocとBTRONの比較をやった人いないですか。きっといると思いますが。調べてみましょうじゃないですか。

脳味噌を持ち歩く感覚

滅茶苦茶ですが。


TRONの良さでもあり怖さでもあるところなんです。
実身/仮身 というのは。
実際に使ったことないし何バカなこと言ってるんだ、って感じですが。
まさに「脳味噌+」。
補助脳というか(ナデシコのIFSみたいですね)思考を纏めるというか、BTRONのシステム自体が脳味噌のような構造をしていることは認めます。
だから何でもできるというか、思考を纏めるという作業特に文章を書くということに関して鬼のような実用性を持っていることも認めます。


ただ、その性質故にどうしても常時持ち歩く必要があるというのも確か。
加えて、ぶっちゃけまともに*1使えないという大爆弾も抱えています。


これはBTRONというシステムがWWWの普及以前に作られたもの、というのも起因しているのですが。
(さらにすさまじいほどの対応ハードウエアの少なさ!)
あまりにハイパーテキストの標準となったHTMLや、Webサーバなどのインフラとの乖離。
(CTRON/MTRONなどで将来的にWWWのようなものを作ろうとはしていたとは思いますが)
さらには事実上の標準となったデータを扱えない不便さ。


Mac OS X+Virtual PC+超漢字 だとある程度大丈夫だとは思うんですけどね。
(それにしたってまるでコンドームのような(あらお下品)、気持ち悪い壁があるのは確かですが。だって三段シートの壁なんですよ。Mac OS X上のVirtual PC上の超漢字。)
たとえばデータのやりとりだってローカルのFTPサーバに接続するという大変回りくどい方法ですが一番スマートな方法でやりとりをすることが出来るので。


BTRONの持つジレンマとして「BTRONだけじゃ何も出来ない」けど「BTRONで全部やりたい」っていうこと。
うわーすげぇ不条理。
例えば超漢字ではMP3を再生することができません。でも超漢字でMP3が扱えたら素敵ですよね。
超漢字だとさくっとデジカメの画像を取り込めません。でも超漢字上で写真、やりとりしたいですよね。
マルチメディアとの不親和をなんとかできたらなぁと思うんですけど。
(でも結構、なんとかできないんだよねぇ…。)
僕にはできないんでBTRON上でスマートにiTunesのようなものを開発する猛者はいないでしょうか。


意外と「何かのホストOS+PC/ATエミュレータでのゲストOS」というかたちで超漢字を使ってる人って多いんじゃないかなぁー。*2
いや、すげぇてきとーなんですけど。
「パーソナル・コンピュータで全部やる」という思想だったはずのBTRONが「全部出来ない」という事態。


WWWとの不親和についてはもうどうしようもないと思います。
でも、ローカルとネットワークをあまり意識しないというシステム、BTRONならできると思うんだ。
僕がBTRONに惚れてきたというのはやっぱりその恐ろしいほどDynabook*3なところです。


さてと。
もう一つ、だけれど。
先に書いたのに後になっちゃいましたね。
でかくて重たいんですよパーソナル・コンピュータは。
でも大画面じゃないとBTRONは辛いしなぁ…。


超漢字買ったらいっぱいダメ出ししてやるぞ。グフフ。

*1:まともにという言い方には語弊があるかもしれないですが、具体的にはPC/AT上で超漢字単体で起動するのは辛いんじゃね?って話です。

*2:超漢字の利点であるところの鬼のような軽さがメリットとなってますね。

*3:アラン・ケイの。勿論、分かるとは思うけれども

W-ZERO3へのダメ出し、これからのITRON

やっと日本でも本当の意味でのスマートフォンが出た、という意義は認めます。
本当の意味というのは前述の通り。既存の携帯電話との融合を計らない限り生き残れないよ、ということです。


その点、キャリアがWILLCOMというのはある意味「やられた!」って感じです。
確かに携帯電話型の端末で初めてフルブラウザを搭載するなど、伏線はあったのですが。
ただの「電話」としてまともに使える(簡単に発着信できる)というのは大変大きい。


ただしタイトル通りダメダメな点はいっぱいあります。
まずカメラ。何故シャープは携帯電話向けカメラの技術を持っているのにも関わらず133万画素CMOSなんて妥協の産物を採用したのか?
「携帯電話」よりも低性能じゃ触手が動かないです。
(自分が持っている携帯電話、それも約1年前発売のauW21SAよりも低性能ってどういう事ですか。)
加えてキーボードが…。
大変個人的な理由なのですが仮名入力ができないとキーボードとは認めません。
いわゆる「HP200LX打ち」のキーボードなのはサイズの都合上、仕方がないのですが。


触ってみたいなと思わせる端末ではあるけれども…。
シャープはさりげなくWindows CE上での開発ノウハウはふんだんにあるので、結構良い出来だとは思うのですが。
「携帯電話」+「PDA」=スマートフォン じゃないことはよく分かっています。
でもスマートフォンには携帯電話の契約を捨ててまで単一契約を結ばせたいという魅力がないとなぁ。
しかし、何よりも日本でスマートフォンが生まれた、ということに驚きを隠せません。


えーっと。
いちおう「BTRON Blog」なんて言っているのでITRONについても触れます。
ITRON仕様のOSは数多くても基本中の基本部分にITRONを遣っているというだけじゃないですか、今の携帯電話は。
それじゃいけないと思うんですね。
確実にシェア喰われます。
実際にSymbian OSであるとか、Linuxであるとか、ついにWindows Mobile搭載の携帯電話が出た以上。
ただし近年の携帯電話のOS開発に対する負担からある程度、ITRON搭載機でもソフトウエアの統一化は計られていますが。(例:NECパナソニック、カシオと日立)
携帯電話ってのも面白くって、まるで昔のMacintoshのように見事にハードウエアとソフトウエアが融合してますからねー。
(個人的には三洋機の『痒いところに手が届く』感じが好きで、今後も三洋の携帯電話を遣っていきたいと思っています)
「携帯電話」で共通のTRON仕様を開発するメリット…あるのかなぁ。ITRONを捨てると公言したり、実際に捨てたメーカーが多数ある以上は。
僕はTRONプロジェクトに関わっていないので分からないのですが(当然だー)各携帯電話メーカーはどう思っているのでしょう。


しかしまぁぶっちゃけると携帯電話のITRONってのはRTOSの選択肢が無かったから採用されただけの話であって。
ソースコードを見たことはないですがきっと間違いなくスパゲティです。
(そうでなきゃ、僕のW21SAのあの不具合続出は何なんだ)
えっと、何が言いたいかっていうと、PDA(スマートフォン)向けのTRON仕様作ってもいいんじゃね?ってことです。
偉そうですね。はい。ダメですね。クソですね。あ、なんかもう本家ブログみたいな文体になってやがる。
かつてのTiPOみたいなんじゃなくて*1、もっと今の携帯電話っぽいインタフェースで。

*1:TiPOの先進性は認めますが新しすぎたと思います

お久しぶりです

BTRON CLubの例会には参加できませんでした。
自分は生徒会長なので(あぁ面倒くさい!)どうしても学校行事と被ってしまい(クソったれめ!)参加できませんでした。
資料は大変楽しく読ませて頂きました。くそ、行きたかったなぁ…。


こちらのブログの更新が滞ってしまったのはちょっと私生活というか学校生活で大変テンパってしまい(具体的には部活動です)情報技術どころじゃなかったんてす。ごめんなさい。言い訳ですね。


でもさすがにちょっと更新したいなと思うニュースがあったので、更新しますが。

情報教育にプログラミングは必要か?

情報教育:小学校でプログラミングを学ぼうという記事を読みました。
ドリトル」(DO-Little)というオブジェクト指向プログラミング言語を使った情報教育についてです。


「情報教育」、つまり「いかにコンピュータを正しく使うか」ということの手法としてのプログラミングをドリトル作者の兼宗進助教授は主張しています。
自分でプログラムを書くことによって、世の中には悪意のあるプログラムがある事などを学んで欲しいということなのですが。
うーん…。
「悪意のあるプログラム」ってのは相当習熟していないと書けないと思うんですけどね…。
ハードウエアを直接叩けたりとか、OSのセキュリティホールに習熟しているとか。
「ドリトル」の場合そこまでのことはできません。「DO-Little」なのですから。


道具を使いこなすために、その道具のしくみを知る必要があるのか?
ある程度は知っている必要があるとは思います。
ただ、果たして自分でプログラミングすることがそれに繋がるのか?と。


「ドリトル」の問題点を言うとまず日本語プログラミング言語(しかもオブジェクト指向)ということかな。
日本語とプログラミング言語の相性は最悪です。
日本語というのは非常に文法が曖昧というか、あって無いような自然言語なので。
加えてLOGOのタートル・グラフィックという手法。
私は小学生の頃パソコン部でMS-DOS版のLOGOを使ったのですが非常にイラつきました。
ある程度BASIC(N88-BASIC)でプログラミングが出来たので。
タートル・グラフィックは実際のコンピュータの描画原理とは大きく異なり、理解に繋がるとは思えません。
オブジェクト指向な点は良いとは思うけれども。
現在のソフトウエア開発というのはIDE(統合開発環境)を使ったGUIプログラミングが主流です。
あとはいわゆるP言語のようなWebプログラミング。
業務で使うプログラミングということだとそういう物なのに、例えばいちいち宣言しないとGUI部品が使えないような言語で良いのか?という気がするのです。


私は「プログラムを書くことによって理解する」よりも「使い方をしっかりと教えた上でしくみを教える」ほうが良いと思うのですが。
例えば電気機械のおおまかな仕組みを知っている人が全員基板の設計/制作ができるか?といったらNoです。
あまり良い例えじゃないと思うのですが、銃器の使い方のトレーニングなんかまさにそうでしょう。
一兵卒はただ自分が所属している軍隊の銃器の扱い方が分かれば良い。
ガス圧利用式とローラーロッキングの違いについて意識する必要はないんです。
ただ、特殊部隊に所属するなどとなると任務に向いた銃器を自分で選択する必要がある。そのためには仕組みに精通している必要があると。
「軍人」(=ユーザ)が「設計者」(=プログラマ)になる必要があるのか?という事です。
私はプログラミングによる情報教育よりは、しっかりとしたユーザを育てる方が良いと思うけどなぁ。


「プログラムを書いてみたい」という子供がいても、悪いけど子供のレベルじゃ無理だもんね…。
例えばゲームプログラミングなんかの場合高度な数学的知識が要求されます。
それは小学生のレベルじゃ無理というものです。
余程のことがない限り(コンピュータが大好きだ!という奇特な人以外は)プログラムを書いてみたいと思う子供なんかいないもん。


「情報教育」の方法としてはあまり良くないというか、遠回りな方法だと思います。
例えばWinnyなんかに手を出す子供も居なくはないわけで。
(キンタマウイルス踏んでも子供なら問題はさほど無いですがね)
でも、工作の時間的なトライアンドエラーの教育的効果はあると思います。ただ、それが「情報教育」に結びつくかは疑問だなぁ。
それよりは情報流出を防ぐには?とか、そういうことを教えるべきだと思うんです。でも、それは小学生には敷居が高すぎかな。
あー、小学生の情報教育というのは盲点でした。高校生ならば分かるんだけども。
次は小学生の情報教育をテーマに書こうと思います。

2chとAAと著作権(著作者人格権)について

※書き終わったあとで「あんま情報技術とかWWWとか関係ないよなー」とも思ったけれども、既存の法律(著作権法)の問題点についてもちょっと関係あるので。


今大変話題になってますね。エイベックスがやらかして。
モナーギコ猫著作権というのは非常に難しい問題です。
そして「WWWと著作権」の良い事例だと思うので取り上げてみます。
(WWWと著作権に関してはまた後で詳しく。とりあえずは当初の問題について。)


まず、AVEXの行為、具体的にはモナーギコ猫モララーと言った2ch発祥*1のキャラクターを無断で「のまネコ」と称し商品化し販売を始めたこと。
この事自体は法的には全くもって問題ありません。
正直かなりはらわた煮えくりかえっているのですが、あくまで日本国の著作権法と照らし合わせた場合ね。
なぜなら非常に単純で「AAキャラクターに著作権は存在しないから」なのです。
それは「著作権者」がいないから。
著作権著作権法というのは「著作権者」「作者」の存在を前提として、それらの権利を守るための法律やしくみです。
ところが「作者」が匿名の場合は?著作権の所在が不明な場合は?
それらが存在しなければ、著作権も存在しないのです。


現在、2chに投稿する場合(Cookieをまだ食ってない場合)このような条文が表示されます。

投稿確認
・投稿者は、投稿に関して発生する責任が全て投稿者に帰すことを承諾します。
・投稿者は、話題と無関係な広告の投稿に関して、相応の費用を支払うことを承諾します
・投稿者は、投稿された内容及びこれに含まれる知的財産権、(著作権法第21条ないし第28条に規定される権利も含む)その他の権利につき、掲示板運営者及びその指定する者に対し、これらを日本国内外において無償で非独占的に利用する一切の権利(第三者に対して再許諾する権利を含みます。)を許諾することを承諾します。また、掲示板運営者が指定する第三者に対して、一切の権利(第三者に対して再許諾する権利を含みます。)を許諾しないことを承諾します。
・投稿者は、掲示板運営者に対して、著作者人格権を一切行使しないことを承諾します。

つまり、投稿者はコテハンの有無(実名/キャップつきの投稿にしてもです)に関わらず「ひろゆきが勝手に使っていいよ」と承諾した上で書き込むのです。
しかし、どこにも「全ての投稿の著作権ひろゆきに帰属する」とは書かれていません。
ただ、非常に回りくどい言い回しながら無断で出版等の行為を行った場合訴訟ができるとも書かれています。


問題点は金の流れが明確ではないということ。
例えば散々話題になった「電車男」。
全てのレスの著作者であるところのひろゆきに幾ら金が入ったのだ?印税は?
それ以前から存在する2ch本に関しても同じ事が言えます。
どのような契約なのかひろゆきは利用者(=作者、つまりユーザ)に知らせる必要があると思うのですが。
まぁ、著作権を放棄すると同等の条文を承諾した上で書き込んでいるので、その時点で投稿者の著作者人格権は消えるのですがね。


さて。
じゃあAAキャラクターの場合どうなるのか?
第二段と第三段は矛盾しているように思えます。
ところがまずギコ猫の場合2ch発祥ではない。
モナーにしても、第三段で引用した条文が表示される前から存在しています。
(2chがまだ、すごく自由でアングラだった頃の話です)
つまり、作者も著作権者も存在しない、そういうものだという事です。
誰が作ったのか分からない。
そういう物に著作権が存在するのか?ということです。


今回の騒動を見るとタカラギコ祭りを思い出します。
タカラギコ祭りの場合は結果として「タカラギコ」としてタカラがコケにされるという事になり、タカラは大きくイメージダウンしました。
自業自得ですが。
この場合著作権でなく商標権になってきますが。


商標権という点でもAAキャラというのは難しい。
AAキャラは果たして「商標」なのか?
AAキャラが利益を生み出すのは確かです。
実際に数々のAAキャラが商品化されています。
じゃあ商品化する際にいちいちひろゆきの許可を取ったのか?と言ったら実際は無許可のものが多数です。
作者も著作権者も存在しないものを使って商売しようが法律的には何ら問題はないのですから。


「商標登録」とはつまり「その商標を使って独占的に商品を販売しても良い権利」の事です。
故に一般的なもの(たとえば花柄とか、唐草模様だとか)は自由に商売に使っても良いし、商標登録は出来ない。
しかし花柄でも「こういう花柄はうちのオリジナルだ」と主張すれば商標登録は認められます。
なぜ花柄かと言ったらふと花柄のシーツが目に入ったからなのですがw
2chの場合、2chあるいは西村博之が何一つとして「商品」を出していないのです。
そして一般的であるということ。
この事からタカラギコの際結果として西村博之がギコを商標登録をすることはなかったし、できなかったのです。


故に、AVEXが「のまネコ」を商標登録することは無理でしょう。
また商標登録を理由にAAの作成を制限するというのも無理。訴訟すれば間違いなくひろゆき(2ch)が勝てます。
その点に関しては問題がないと言えます。
ただ、何より企業としてのモラル。その点に尽きますね。
私は正直AVEXという企業が好きじゃありません。
これは個人的な趣味の問題なのですが、プログレッシブトランスを大変低俗にしたので。
それはまぁ別として、何とも思っていないのでしょうねAVEXは。
「商標」として存在しない以上西村博之が「商標権が侵害されている」と逆に訴訟したところで敗訴するのは目に見えています。
企業のモラルとしてWWW上に存在しているキャラクターの名前を改変(改悪)して商品化するのはどうよ?という事です。
残念ながら止めさせる法律はありません。モラルがない、そう言うしかないのです。
結論を言うと「どうしようもないが、そんなに悲観することもない」ということです。


WWWと著作権についてはまた今度書きます。

追記。

AVEXecサイトはPC向けだけでなく携帯向けサイトもある、元々はWWWから人気に火が点いたにもかかわらず今はDQN層にも人気があるという事から不買運動は無意味と思われます。
ただ、Tシャツが激しくダサかったり、そもそも可愛くないからあまり売れなくて結局大損害、下手なことはしない方が良いねってことになると思いますがね…。
AVEXがなぜ一言も「ギコ猫」とか「モナー」とか言わないのは何より「2ch発祥」というのが嫌だからでしょう。
2chで散々叩かれていますからね。私も大嫌いです。

*1:厳密にはギコ猫はそうではないのですが、都合上こうしておきます

俺が好きなのはAppleじゃない、Macintoshだ。

結局、こっちにもMacカテゴリ作っちゃった。


アップル、「Intel Mac」にセキュリティチップ搭載
というニュースを読んだ。
セキュリティチップの搭載の是非というのは置いておいて、つまり「Apple謹製のPC/AT互換機にしかMac OS Xはインストール出来ない」ということが問題なのだ。


まずはハードウエアとしての「Macintosh」(New World機)の、PC/ATに対する優位性について。
懐かしのCHRPの遺産を引き継いだ現在のPowerPCを搭載したMacintoshは実は非常にマルチブートがしやすい。
基本的にひとつのOSを動かすことしか前提になっていないPC/AT互換機とは大違い。
かつてのPC-9800と同じく、パーテイションさえしっかり切ればBIOSレベルでマルチブートをサポートしています。
加えて外付けFireWire接続のHDDだろうがターゲットディスクモードの他のマシンのHDDだろうが、基本的にどんなドライブからもOSを立ち上げることができる。
PC/AT互換機で同じ事(外付けHDDからのOS起動)をしようとすると別売りのブートローダが要ります。
あとは例えば「C」押しっぱなし起動で光学ドライブから起動できたり。
New Worldに移行した時点でPC/ATよりも非常に優れたシステムとなったのです。
それを捨ててまでAppleは「Macintosh」のプラットフォームをPC/ATに移行することを決めた。


PowerPCでしかMac OS Xが動かない」「PC/ATよりも設計思想が新しい」この二つがハードウエアとしてのNew World Macintoshを選ぶ理由となっていました。
少なくとも自分は。
そして独自のハードウエアこそが「Appleらしさ、Macintoshらしさ」だと思っていたのに。


私は上記の理由が無ければ、ハードウエアとしての「Macintosh」に魅力は感じません。
別に今のAppleのデザインなんかこれっぽっちも気に入ってないです。
むしろiBookよりThinkPadの方が格好良いと思う。
Macユーザはデザインにうるさい」大嘘です。かつてのMacintosh互換機は何だったんですか?


ガワに林檎印がついているだけの中身はPC/AT
Apple製のPC/AT」でしかMac OS Xは動かない。
だから「Apple製のPC/AT」はMacintoshか?


単純にハードウエアという点だとMacintoshよりも魅力的なPC/AT互換機はいっぱいあります。
特に自分はサブノート・フェチなので。
昔からLibrettoとかに悶え死んでいました。
(価格的なこと、Mac OS Xが動かないことで購入には至らなかったけれども)
どうせハードウエアの中身が一緒ならそれらのマシンでMac OS Xを動かせたら、Mac OS Xを愛する者としてはこの上無い幸せなのですが。


なんかね。
Mac OS Xを捨てて他のBSD系OS+GNOME でも良いような気がしてきた…。
もっとも、Mac OS Xの安楽さ(Unixを感じさせない、Finderなどを含めたGUIの優れた操作性)は魅力的なんだけどねぇ。


俺はMacintosh信者だけれどもApple信者じゃありません。*1林檎印が着いてればなんでもマンセーする人間とは違うんです。現にiPodでなくRio Karmaを買いましたし。(この選択は間違いだったけど…。)
Appleは真にユーザが幸せになれる道とは?と考えて欲しい。
やはり非公式にでもApple製以外でのPC/AT互換機での動作も許した方が良いんじゃないだろうか。サポートする必要はなくて、Hackerたちがドライバを書く、そんな環境でいいと思いますがね。
何より売れる。すごくニッチだけどWindows以外のPC/AT互換機用OSというマーケットはある。
ことに非常にOSとしての出来が良いMac OS Xともなれば。

追記−俺がIntel Macを買う可能性

それはやっぱりデザインかなぁ。
Intel Macがとても素敵なデザインで出れば(既存のメタリック/ホワイト路線でなくて)一目惚れして買ってしまう可能性はあります。
というのも俺はLombard(Bronze Kayboardとも言う)に一目惚れして買ってしまったという経験があるので。
いや、話はかなり逸れるけれども色として白があんまり好きじゃないんですよ。特にデジタルガジェットの色としては。
どちらかというと黒が好き*2なので。
真っ黒なiBookが出たらいいなぁーーーーーー。
iBookもかつてはカラーバリエーション*3があったのにね。

*1:かつてのAppleはリスペクトしています。何よりMacintoshを生み出した会社ですから。だからと言って盲目的に

*2:あのアニメの話ではありませんw

*3:カラーバリエーションってすごく素敵です。かつてVisorを使っていたので。ちなみに色は、やっぱり黒。Visorユーザの中では少数派だったので。